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2017年10月25日水曜日
大恩寺のブログはフェイスブックの投稿が自動的に反映されて更新されるように設定してあるのですが、最近そのシステムがうまく働いていないみたいで更新が反映されていません。よろしければぜひフェイスブックの大恩寺ページを訪れてください。
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2017年10月2日月曜日
時々テレビで目にする「成仏してください」「迷わないでください」と合掌する姿。これはなくなった方が成仏していない、迷っていることが前提の上での祈りです。 また、誰かが亡くなるとメディアでの定型句は「ご冥福をお祈りいたします」。中村仏教辞典によると冥福という言葉は弘法大師の『三教指帰』に出てきますが、この冥福は死者の幸せという意味では用いられていないようです。(間違っていたらごめんなさい)漢字の上で冥は「暗い」を意味します。そして、誰かが亡くなった場で使われる冥福は「冥界、冥土での幸福」という意味でしょう。すると冥福は故人が暗い世界に行ったことを前提としている言葉になります。これって先の「成仏して、迷わないで」と同列上にあると思いませんか?そんな意図はなく故人の死後の幸せを願って使っている方がほとんどだと思います。であるならば、口にする言葉は選んで使われるべきです。 宗教をもたない方には浄土も天国も存在しませんが、キリスト教にはキリスト教の、神道には神道の死後の世界を表現する言葉があります。宗教をもつならば、それぞれの宗教の言葉を大切にしましょう。そして、浄土真宗ではいのちのゆくえを浄土と聞かせていただきます。浄土を「光の世界、限りない命の世界」などと親鸞聖人は表現されます。そこには暗いという意味は全くありません。暗闇が光に、有限が無限に転ぜられていく教えが仏教であり浄土真宗です。そして「不可思議光」「無量寿」といただく浄土という世界があるのです。 ちょっと気恥ずかしいかもしれませんが、「あの方はお浄土に往かれた。私もお浄土に生まれさせていただくのだ。」と口にしてみませんか?
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2017年9月22日金曜日
明後日は当寺の秋季彼岸会です。午前十時、午後一時の二座に山本摂叡先生のご出講をいただきます。 行信教校の仲間と先生が来てくれるので楽しみです。お勤めは往生礼讃をお参りします。僧侶の数が多いのでお勤めもきっととてもきれいですよ。
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2017年9月17日日曜日
仏教には他力という言葉がありますが、浄土真宗の特徴に「他」の字の解釈があります。このことは以前より述べています、何を中心とするかと密接な関係があります。 私が中心となったとき、他は私以外のものになります。その場合、現在一般的に誤用されている「他人の力」の他力の意味になるでしょう。言葉というのは心を表しますから、人間というのはどれほど「私」を中心に世界を見、我を貫き満たそうとするものなのかを表しているのが現在の「他力」の誤用なのでしょうね。 浄土真宗は仏さまが中心となる教えです。その場合、「他」は仏さま以外の全てのもの、そしてこの「私」を意味する言葉となります。「他(=私)」の仕合わせを願い働く阿弥陀仏の力を本来浄土真宗では他力と言います。そこには私の「我」を貫き満たそうとする姿と真反対の世界が開かれています。 前回の繰り返しになりますが、この仏さまのものの見方と、私のものの見方の違いを聞いていくことがとても大切です。
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2017年9月10日日曜日
先日「お陰さまが中心」という先輩のお話をシェアさせていただきました。 今年の初め頃にある研修会に参加したのですが、そこであるお坊さんが昨年大恩寺からあまり遠くない障害者施設で起こった虐殺事件についてお話しをしてくださいました。犯人は「あいつらは役に立たないから殺していいんだ」と話をしていたということに対してそのお坊さんは、「いつから役に立つ立たないで人を語るようになったのでしょう。」とおっしゃっていました。 正直、どきっとしました。これって何を中心にして生きるかと同じことです。仏教という教えは仏さまを中心とする考え方や生き方を聞く教えです。自らを傍らに置いて仏さまがどのような方であるかを聞かせていただく。そこに私と仏さまの大きな違いが見えてくる。それがとても大切なことです。「お陰さまが中心」も、自らが主でなく傍になってはじめて出てくる言葉です。 いま、「私」を中心に置いて「私」にどれだけ利益をもたらすか、都合が良いか悪いか、役に立つか立たないかで語られることがとても多いように感じます。私は人のことをそんな風に考えていないと思われるかもしれませんが、そう考えなければ生きられないのが人間でもあります。だから仏教の教えを聞くことが大切なんです。 仏さまが中心となったとき、世界がどのように見えるのか。ひとりひとり、ひとつひとつの命が仏さまの目にどのように映るのか。ぜひ、聞いて欲しいです。
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2017年9月2日土曜日
お陰さまがベース
広島の先輩がFBにこんなことを載せていらっしゃいました。ちょっとシェアさせていただきます。
「ご法事の後にお茶を頂きながら、あれこれとお話しさせて頂きました。お姉さんは東京でテレビ関係のお仕事をしておられるのですが、大変お忙しくしておられるご様子でした。お母さんが、もうブラックですよ〜〜って仰るので、私も8月は休み無しのブラックですよと笑いながらお返事すると、お姉さんが、でもお寺っていいですよね〜、考え方のベースが素晴らしいですよ。私たちはお客様の利益の為にと言いながら、自分たちの営業成績をあげる事を優先してますもの。お寺ってお陰様がベースですよね、羨ましいですよと仰るのです。私は、そうですよね、忙しくても有難いし楽しいですよとお返事致しました。」
お寺はお陰さまがベースとご門徒さんが言い切っておられることがありがたい。
生活の中ではいろいろなものをベースにしなくてはいけない状況にあわれると思います。だからどうぞ、時々はお陰さまがベースの時間をとり、心のバランスをとるように心がけてください。
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