2017年10月31日火曜日

おみがき

今日は報恩講と新年を迎える準備でおみがきをしました。昔みたいにピカールでごしごしではなく、溶剤のテガールを使いました。みんな一所懸命手伝って下さったからあっという間に終わってしまいました。写真は昼食の様子です。お手伝い、ありがとうございました。


2017年10月25日水曜日

最近、利井明弘先生の言葉が思い出され、改めてそのお言葉を味わっています。 「死ぬ覚悟ができるのが浄土真宗の信心とちゃうで。死んだらお浄土の覚悟ができるのが浄土真宗の信心やで。」 いつ死んでも良いという気持ちと、死んだらお浄土なんだという気持ちは、似て非なるものですね。

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2017年10月2日月曜日

時々テレビで目にする「成仏してください」「迷わないでください」と合掌する姿。これはなくなった方が成仏していない、迷っていることが前提の上での祈りです。 また、誰かが亡くなるとメディアでの定型句は「ご冥福をお祈りいたします」。中村仏教辞典によると冥福という言葉は弘法大師の『三教指帰』に出てきますが、この冥福は死者の幸せという意味では用いられていないようです。(間違っていたらごめんなさい)漢字の上で冥は「暗い」を意味します。そして、誰かが亡くなった場で使われる冥福は「冥界、冥土での幸福」という意味でしょう。すると冥福は故人が暗い世界に行ったことを前提としている言葉になります。これって先の「成仏して、迷わないで」と同列上にあると思いませんか?そんな意図はなく故人の死後の幸せを願って使っている方がほとんどだと思います。であるならば、口にする言葉は選んで使われるべきです。 宗教をもたない方には浄土も天国も存在しませんが、キリスト教にはキリスト教の、神道には神道の死後の世界を表現する言葉があります。宗教をもつならば、それぞれの宗教の言葉を大切にしましょう。そして、浄土真宗ではいのちのゆくえを浄土と聞かせていただきます。浄土を「光の世界、限りない命の世界」などと親鸞聖人は表現されます。そこには暗いという意味は全くありません。暗闇が光に、有限が無限に転ぜられていく教えが仏教であり浄土真宗です。そして「不可思議光」「無量寿」といただく浄土という世界があるのです。 ちょっと気恥ずかしいかもしれませんが、「あの方はお浄土に往かれた。私もお浄土に生まれさせていただくのだ。」と口にしてみませんか?

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2017年9月10日日曜日

先日「お陰さまが中心」という先輩のお話をシェアさせていただきました。 今年の初め頃にある研修会に参加したのですが、そこであるお坊さんが昨年大恩寺からあまり遠くない障害者施設で起こった虐殺事件についてお話しをしてくださいました。犯人は「あいつらは役に立たないから殺していいんだ」と話をしていたということに対してそのお坊さんは、「いつから役に立つ立たないで人を語るようになったのでしょう。」とおっしゃっていました。 正直、どきっとしました。これって何を中心にして生きるかと同じことです。仏教という教えは仏さまを中心とする考え方や生き方を聞く教えです。自らを傍らに置いて仏さまがどのような方であるかを聞かせていただく。そこに私と仏さまの大きな違いが見えてくる。それがとても大切なことです。「お陰さまが中心」も、自らが主でなく傍になってはじめて出てくる言葉です。 いま、「私」を中心に置いて「私」にどれだけ利益をもたらすか、都合が良いか悪いか、役に立つか立たないかで語られることがとても多いように感じます。私は人のことをそんな風に考えていないと思われるかもしれませんが、そう考えなければ生きられないのが人間でもあります。だから仏教の教えを聞くことが大切なんです。 仏さまが中心となったとき、世界がどのように見えるのか。ひとりひとり、ひとつひとつの命が仏さまの目にどのように映るのか。ぜひ、聞いて欲しいです。

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