2017年12月26日火曜日

お釈迦様の滅後、弟子たちはそれを「死」とは決して表現せず、入滅(滅度、涅槃に入ること)と伝え残してくださいました。なぜなら、お釈迦様がそのように教えていたことと、実際にそこに「死」はなかったからです。確かに、お釈迦様の人間の体の終わりはありました。因果、因縁の教えによれば縁に依って生じているものは無常であるからです。しかし、人間の体の終わりが全ての終わりではなく、それを「涅槃」といただいていく世界があり、その生き方を実践されたのがお釈迦様という方でした。そのお釈迦様が人間のいのちの最後を迎えるとき、そこには空しさや、絶望は一切ありませんでした。 だからといって、お釈迦様は弟子や近しい方が亡くなったとき悲しまなかった訳ではありません。舎利弗尊者が亡くなったときには涙されていたと聞いています。悲しいからだと答えられたそうです。 悲しみが現前にありながらも空しく終わっていかない世界が仏教という教えの世界です。死が死ではなく涅槃といただく世界です。それは生と死の間で生き考えている私たちの知識や経験では決して分かりません。だから生と死を超えた仏さまの言葉を聞くことが大切なのです。生と死を一望の下に見通す無分別の智慧に到達され、怨親平等の慈悲を体現されている方が仏さまであり、阿弥陀様です。そこに私たちのいのちを貫いて支え導いてくださる働きを聞かせていただく。その働きを南無阿弥陀仏と言うのです。

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