いま読んでいる本があります。西本願寺系の勉強をしてきた自分からしてみたら(たいしてはしていない)今更これを確認しなきゃいけないってどういうことだろう?って思ってしまうことが多い本です。でもとても勉強になります。しかし、その本は読んでいてとても苦しいのです。
というのは、「親鸞聖人」と私たちには宗祖と仰ぐ方を一度も聖人を付けず、敬称略ともいれずに最初からたぶん最後まで(まだ途中なんで)呼び捨てです。たしかに学術論文や特定の状況では敬称は付けないことがあります。でも、やっぱり違和感があります。もしかしたら、敬称をつけないような風潮も現在の問題の裏にはあるのかなって思いました。
ごめんなさい、とってもわかりにくい投稿だったと思います。読んでくださってありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿