人間にとって一ばん不幸なことは、自分が生涯をかけて本当に求めねばならないものが何であるかを知らないことだ。真に求むべきものを知らないから、あれも、これもとあらぬものを求めて道草をくい、あれでもなかった、これでもなかったと、不満と悔恨のなかで、かけがえのない生涯を空しくすごしてしまうのである。
人間が求めねばならないものは、ただ一つ、本願の念仏なのだと教えておられるのが浄土の教説である。親鸞聖人はそのこころを
たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり
と和讃された。人間がこの世に生をうけて、知るべきことは、永遠ないのちのみ親の大悲の誓願がわが身にかけられていることであり、なすべきことは、わが名を称えよとおおせられた願いのままに念仏することであり、帰すべきところは、み親のまちます涅槃の浄土なのだ。それ以外のもの、たとえば財産にせよ、社会的な地位や名声にせよ、職業にせよ、ただ旅をゆくものの前にあらわれたこころよい景色ではあろうけれども、なければならない人生究極の目標ではない。
また、どんなに苦しいことが多かろうとも、淋しい人生であったとしても、それが念仏の申される縁となり、浄土をなつかしむ法縁でありえたとき、私にとってありがたい一生でございましたと、合掌して頂戴できる境地もあるのだ。
(梯 実円師『白道をゆく』より)
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